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\応援エピソード部門_受賞作品紹介③/

2022.12.07

最高の応援ギフトに気がついたで賞

エントリーNO.20「親ガチャハズレだと思ってたら特賞だった話」森本佑紀さん

  

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あれは、会社が分裂騒動で揉めている夜だった。

ちょうど 30 歳の誕生日だった。

  

珍しく大阪にいるはずの父親から連絡が入る。

  

「いま東京にきているけど、飲まないか」

  

僕は父親が好きではなかった。

ほぼ無職で、頑張っているのをみたことがないし、家事もしないくせに母親に偉そうだった。

中学校の時、僕は名門私立に入らせてもらったものの、すぐ辞めたくなった。

階級があまりにも違った。場違いだった。

言い過ぎでなく、半分親は医者だった。他にも社長、大企業役員、科学者、公務員。

  

うちの親は、、、なにしてるんだろ、、、

  
そんな親を見て、自分はこんな風になりたくはない。頑張ろう。と、塾も行かずに頑張った。

ちなみに慶応を受けたいと言った時は、お金ないから無理。と即答された。

お前が頑張って働けよ。と、完全に親ガチャでハズレをひいたと思った。

そんな親が東京に来たところで、会社が分裂しそうな今の苦しい状況に、

なにかプラスになるはずがなかった。

でもどうせ会うなら、昔から気になっていることを聞いてみようと思った。父親に、

  

「お父さんは、なんで生きてるの?」

  

と僕は、人生は、なにか目標に向かって頑張るから意味があると思っていた。

そんな僕からは、父親が生きている意味がわからなかったのだ。

意外なことに、その時の父親の一言が、僕の人生の方向性を、大きく変えることになる。

  

父親は即答した。

  

「そらぁ、お前たちが、胸張って生きていることだよ」

「お父さんは、お前たちと遊ぶ時間が、何よりも大切やった。

だから、仕事とかしてる場合じゃなかってん。

毎日、大きくなるお前たちを見て、ほんまに幸せやった。」

  

そういえば、僕は毎日、朝起きるのが楽しみだった。
父親とキャッチボールして、相撲して、 ゲームをしてからプロレスをして、

ブルース・リーの映画を一緒に見た。 次の日もそれを楽しみに、川の字で寝た。

僕には特別な経験というのがない。 英語教室や自然体験もしてなければ、

科学について学んだこともなかった。
外国にも行ったことはなかったし、 恩師と呼べる先生にも出会ったことはない。

でも、気づいた。 僕には、全力で遊んでくれる、 子どものような大人がいた。

“生きるって、たのしい”

そのことを、人生で一番大切なことを教えてくれた。

これこそが、僕のベースだったんだ。 だから僕は頑張れる。

辛いことばっかりだけど、だから僕は前にすすんでこれたんだ。

こんな父親は、きっと他にはどこにもいない。

  

そんな父親が、2 年前の誕生日に、こんなメッセージを送ってきた。

  

“大学に入学した年、保険の先生が言いました。

凡人にできる唯一の創造的行為は、子どもを造ることだと。

お父さんはそのとき思いました。自分は凡人であると。

凡人としてお父さんは、充分に幸せに生きてこれたと思います。

自由に生きてください。後悔のないように。

でも、途中で違うかなと思ったら、いつでも方向転換してかまいません。

どのような生き方をしても、いつも応援しています。

弱音を吐くときは、吐いてもかまいません。自分の気持ちに正直に生きてください。

困ったことがあったら、頼りにしてください。たいした力にはなれないかもしれないけど、

何かできるかもしれないと思うので、何でも言ってください”

  

僕の父親は、無職でケチで、冷房の効かないワゴン R 乗ってるくせに、

トルコで 90 万の絨毯を売りつけられ、息子の学費も出さない。

母親に偉そうにするし、自分で散らかした新聞紙を「片付けろ!」ってキレるし、

店員さんに偉そうやし、おそらく社会不適合者である。

だけど、僕にとっては、最高の父親だ。

僕の人生をもし、特別なものにできるのであれば、きっとそれは、父親と、子どもの関係性だ。

何も教えてやれなくても、満足に教育費を出せなくても、それでも、一緒に遊ぶことはできる。

子どもに、「この世界って楽しいんだ」と感じさせることはできる。

川の字で眠ることはできる。 子どもの人生を応援することは、誰にだってできる。

人生で、最高の創造的行為である。